Wp/ryu/君が代
『汝が御命』(ʔyāgaunuchi、kimigayo、chimigayu 大和口: 君が代/kimigayo/) ぇー大和の國歌。
汝が命ぬ歌詞ぇー10世紀初みに編纂さったる古今和歌集んかい収録さった読人知らずぬ和歌から由来すん[1][2]。古今和歌集や10世紀初みに編纂さっとーてぃ、世界ぬ國歌ぬ中をぅてぃ壱番古さる歌詞んでぃさっとーん。また、壱番いんちゃさる歌詞やんでぃどぅんさっとーる。
1880年 (明治13年) に西洋音楽んかい基ぢちゅる曲ぬとぅらさってぃ、事実上ぬ大和ぬ國歌とぅさったん。「汝が命」ぬ公式やる作曲者ー林廣守とぅさりとーてぃ、初みてぃうふやちぬ場をぅてぃ演奏さったしぇー同年11月3日ぬ天長節ぬ宮中やたん。
うぬ後、汝が命 正式に大和ぬ國歌とぅする法律ぉーねーらたしが、1999年 (平成11年) ぬ「國旗あらんてー國歌にちーてぃぬ法律」ゆり正式に大和ぬ國歌とぅなたん[3]。
歌詞
[edit | edit source]大和口ぬ歌詞
| 沖縄口 | 発音記号 | ふぃらがな |
|---|---|---|
| 君が代は
千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで |
kimi ga yo wa
chiyo ni yachiyo ni sazare-ishi no iwao to narite koke no musu made |
きみがよは
ちよにやちよに さざれいしの いはほとなりて こけのむすまで |
沖縄口ぬ歌詞
| 沖縄口 | 発音記号 | ふぃらがな |
|---|---|---|
| 汝が御命や
幾千年ぅんぬ閒 くーさる石ぐゎーぬ まぎーしとぅなてぃ 苔ぬみーゆるまでぃ |
ʔyā ga unuchi ya
ikushin'nin-un nu ēda kūsaru ishigwā nu magīshi tu nati kʊkı nu mīyuru madi |
っやーがうぬちや
いくしんにぬんぬえーだ くーさるいしぐゎーぬ まぎーしとぅなてぃ くきぬみーゆるまでぃ |
歴史
[edit | edit source]第二次世界大戦前
[edit | edit source]「君が代」は、正式な国歌ではなかったものの、国際的な賓客の送迎やスポーツ関係などで国歌に準じて演奏・歌唱されることが多くなり、とくに昭和10年代に入るとこの傾向はいっそう顕著となった[1][2]。 1936年(昭和11年)に文部大臣となった平生釟三郎は、ある日、造船所の見習職工に『君が代』の歌詞を漢字入りで書かせたところ、同音異義語を充てる者(例:岩音)や誤字が多かったことに気がついた。国歌の歌詞を発音のみで覚え、意味を理解していないのは問題だとして、尋常小学校の教科書に君が代を掲載するよう指示を出した[4]。 その後、小学校の国定修身教科書に歌詞が掲載されるようになり、「私たち臣民が『君が代』を歌ふときには、天皇陛下の万歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります。」(『小学修身書』巻四)として君が代を歌う意味も掲載されるようになった。また、1941年(昭和16年)に設立された国民学校の修身教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」(国民学校4年用国定修身教科書『初等科修身二』)と記された[5][6]。日中戦争から太平洋戦争にかけての時期には、大伴家持の和歌に1937年(昭和12年)に信時潔が曲をつけた「海行かば」も第二国歌のような扱いを受け、様々な場面で演奏・唱和された[7]。
第二次世界大戦後
[edit | edit source]第二次世界大戦後には、連合国軍総司令部(GHQ)が日本を占領し、日の丸掲揚禁止とともに、「君が代」斉唱を全面的に禁止したTemplate:Sfn。その後GHQは厳しく制限しつつ、ごく特定の場合に掲揚・斉唱を認めTemplate:Sfn、1946年(昭和21年)11月3日の日本国憲法公布記念式典で昭和天皇・香淳皇后出御のもと「君が代」が斉唱された[8]。しかし、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に開催された憲法施行記念式典では「君が代」でなく憲法普及会が選定した国民歌「われらの日本」(作詞・土岐善麿、作曲・信時潔)が代用曲として演奏され、天皇還御の際には「星条旗よ永遠なれ」が演奏された[8]。「君が代」の歌詞について、第二次世界大戦前に「国体」と呼ばれた天皇を中心とした体制を賛えたものとも解釈できることから、一部の国民から国歌にはふさわしくないとする主張がなされた。たとえば読売新聞は1948年(昭和23年)1月25日の社説において、「これまで儀式に唄ったというよりむしろ唄わせられた歌というものは、国家主義的な自己賛美や、神聖化された旧思想を内容にしているため、自然な心の迸りとして唄えない」とした上で「新国歌が作られなくてはならない」と主張した[9]。
また、「君が代」に代わるものとして、1946年、毎日新聞社が文部省の後援と日本放送協会の協賛を受けて募集・制作した新憲法公布記念国民歌「新日本の歌」(土井一郎作詞、福沢真人作曲)がつくられ、1948年(昭和23年)には朝日新聞社と民主政治教育連盟が日本放送協会の後援を受けて募集・制作した国民愛唱の歌「こゝろの青空」(阿部勇作詞、東辰三作曲)がつくられた。前者は日本コロムビアより、後者は日本ビクターより、それぞれレコード化されるなどして普及が図られた[8]。1951年1月、日本教職員組合(日教組)が「君が代」に代わる「新国歌」として公募・選定した国民歌として「緑の山河」(原泰子作詞、小杉誠治作曲)もつくられた。しかし、1951年(昭和26年)9月のサンフランシスコ平和条約以降は、礼式の際などに、再び「君が代」が国歌に準じて演奏されることが多くなった[1][2]。
GHQ占領下の学校・教育現場では、1946年(昭和21年)の国民学校令施行規則から「君が代」合唱の部分が削除されていた。しかし、文部省の天野貞祐文部大臣による国民の祝日に関する「談話」などから、1950年(昭和25年)10月17日に「学校や家庭で日の丸掲揚、君が代斉唱することを推奨する」との通達が全国の教育委員会へ行われており、主権回復後の1958年(昭和33年)学習指導要領に「儀式など行う場合には国旗を掲揚し、君が代を斉唱することが望ましい」と記載されたことなどからTemplate:Sfn、学校で再び日の丸掲揚・君が代斉唱が行われるようになり、これに反対する日本教職員組合等との対立が始まった。その後、学習指導要領は「国歌を斉唱することが望ましい(1978年)」、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする(1989年)」と改訂され、現在は入学式・卒業式での掲揚・斉唱が義務付けられている[10]。
[[ファイル:国旗及び国歌に関する法律.jpg|thumb|400px|官報「国旗及び国歌に関する法律」]]
「君が代」は事実上の国歌として長らく演奏されてきたが、法的に根拠がないことから法制化が進み、1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が成立し、13日に公布(号外第156号)され、即日施行された[3]。日本国政府の公式見解は、国旗国歌法案が提出された際の平成11年6月11日の段階では「『君』とは、『大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である。』(「君が代」の歌詞は、)『日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である』」としたが、そのおよそ2週間後の6月29日に「(「君」とは)『日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す』『『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」と変更した[11]。
なお、同法案は衆議院で賛成403、反対86(投票総数489)で平成11年7月22日に、参議院では賛成166、反対71(投票総数237)で平成11年8月9日に、それぞれ賛成多数で可決された。 Template:Quotation この「別記第二」として掲載されているハ調の「君が代」の楽譜には、テンポの指定や強弱記号がなく、また、本来6カ所あるべきスラーが付されていないなど、不完全なものであった[3]。
君が代の代案とその頓挫
[edit | edit source]現状
[edit | edit source]「君が代」は、国旗国歌法によって公式に国歌とされている。法制定以前にも、1974年(昭和49年)12月に実施された内閣府・政府広報室の世論調査[注釈 1] において、対象者の76.6パーセントが「君が代は日本の国歌(国の歌)としてふさわしい」と回答する一方で、「ふさわしくない」と回答したのは9.5パーセントだった[12]。
なお、日本コロムビアから発売した「君が代」を収録したCDは1999年までの10年間に全種累計で約10万枚を売り上げ[13]、キングレコードから発売した「君が代」を含むCD『世界の国歌』は改訂盤が発売されるごとに毎回1万数千枚を売り上げている(1999年時点)[13]。

- 1 2 3 高橋(1979)pp.475-476
- 1 2 3 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典2』(1973)p.282
- 1 2 3 海上自衛隊東京音楽隊「国歌『君が代』について」
- ↑ 国歌「君が代」の意味、教科書で教える『読売新聞』昭和11年7月2日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p712)
- ↑ Cite error: Invalid
<ref>tag; no text was provided for refs namedWr - ↑ 尾崎(1991)p.260
- ↑ 堀(2001)pp.25-26
- 1 2 3 辻田真佐憲『戦時下を「君が代」はいかに生き延びたか 第2回「君が代」が迎えた敗戦』(幻冬舎plus)
- ↑ Template:Cite news
- ↑ 「日の丸」「君が代」に関する戦後年表
- ↑ 「君が代」の政府解釈の矛盾と修身教科書での本当の解釈 Template:Wayback(「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン Template:Wayback)
- ↑ Template:Cite press release
- 1 2 法制化で注目!君が代CDブレーク?、ZAKZAK、1999年7月23日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
<ref> tags exist for a group named "注釈", but no corresponding <references group="注釈"/> tag was found