Wp/jpn-bungo/香港
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[edit] 概要
西暦一八四二(道光二十二)年の南京
正式名称は西暦一九九七年六月末日迄「The Crown Colony of Hong Kong」、翌七月一日より「中華人民共和国香港特別行政区」「Hong Kong Special Administrative Region of the People's Republic of China」なり。
[edit] 歴史
- 西暦一八三九(道光十九)年 第一次阿片戦争勃発。
- 一八三九(道光二十二)年 南京条約を以て香港島を清朝より英国に永久割譲。
- 一八五八(咸豊八)年 原住民差別禁止政策施行。
- 一八六〇(咸豊十)年 北京条約にて九龍半島南部の市街地を割譲に追加。
- 一八六五(同治四)年 香港上海銀行設立。
- 一八七二(同治十一)年 香港上海銀行初めて通貨発券。
- 一八九八(光緒二十四)年 展拓香港界址專條で深圳河以南、界限街以北の九龍半島、二百余の島(新界)を九十九年間の期限を以て租借。
- 一九四一(昭和十六)年 太平洋(大東亜)戦争勃発。日本軍、香港を占領。
- 一九四二(昭和十七)年 日本軍の磯谷廉介中将、香港総督に就任。
- 一九四五(昭和二十)年 日本の敗戦により英国の殖民地に復帰。
- 一九五〇年 英国、中国共産党により前年に北京を首都として建国せられし中華人民共和国を承認し、中華民国政府と国交を断絶す。
- 一九六七年 文化大革命の影響を受けて中国共産党系住民暴動す。
- 一九八三年 米ドルとのペッグ制(1US$≒7.8HK$)を開始。
- 一九八四年 英国のマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の鄧小平共産党中央委員との間にて租借地と割譲地域の返還に合意す。
- 一九九二年 最後の香港総督クリストファー・パッテン就任。
- 一九九七年 租借地と割譲地域を英国より中華人民共和国へ返還。
[edit] 地理
香港の領域には香港島、九龍半島、新界及び周辺の南支那海に浮ぶ二百余の島あり。香港と云ふ名称は、珠江三角洲の東莞周辺より集められたる香木の集積地なりし湾及び沿村の名に由来す。現在香港島南部の深湾と黄竹坑とに当る。
領域内最大の島は大嶼山(ランタオ島)、その広きこと香港島に二倍す。香港国際空港の空港島、之に隣す。西暦二〇〇五年九月には島内に香港ディズニーランド開園せり。
香港の地形は全体に山がちにして、最高点は標高九五八メートルの大帽山なり。中華人民共和国本土との境辺りを除き平地少なく、主に元朗平原あり、近岸に湿原あり。
[edit] 気候
温暖冬季少雨気候(サバナ気候~温暖湿潤気候移行部型)に属す。秋・冬は温暖にして乾燥、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧との影響により高温湿潤なり。
秋には屢ば
冬には中国大陸より朔風吹き入り、塵埃のみならず近年は環境対策後れたる工場或いは自動車の排出せる煤気を運び来りて靄霧を生ずること多し。
[edit] 人口
人口密度頗る高く、一平方キロメートル当り六二七二人なり。出生率は一千人あたり七・二六人にして世界二二五の国家と地区とのうち最低なり。
人口は香港島と九龍半島とに集中す。両者を合したる面積一二七・四平方キロメートルは香港全体の一割二分を過ぎざるも此範囲に人口の半ばに当る三四四万人が居住す。
香港に最も多きは華人と呼ばるる中国系住民にして全体の九割五分近くを占む。華人以外には家事使用人など出稼ぎ労働者の多きフィリピン人多し。之に次ぐは米人及び元宗主国の英人なり。
[edit] 行政区分
行政上の下部地域として十八の区(繁体字表記では「區」)あり。西暦一九八二年に区議会設置せられしに始まる。後に九龍地区から新界に人口移動せる故に区制再編せられたり。一九八五年に荃湾區から葵青區が分離せり。一九九四年に油尖區と旺角區とが合併し現在の油尖旺區となれり。
- 香港島
- 中西區(Central & Western District)
- 湾仔區(Wanchai District)
- 東區(Eastern District)
- 南區(Southern District)
- 九龍
- 九龍城區(Kowloon City District)
- 油尖旺區(Yau Tsim Mong District)(油麻地・尖沙咀・旺角から成る区)
- 深水
埗區(Sham Shui Po District)
- 観塘區(Kwun Tong District)
- 黄大仙區(Wong Tai Sin District)
- 新界
- 北區(North District)
- 西貢區(Sai Kung District)
- 沙田區(Sha Tin District)
- 大埔區(Tai Po District)
- 元朗區(Yuen Long District)
- 屯門區(Tuen Mun District)
- 荃湾區(Tsuen Wan District)
- 葵青區(Kwai Tsing District)
- 離島區(Islands District)
[edit] 政治
香港の政治は今日、英国殖民地時代の行政府・官僚主導の政治より、民主化および政党政治への移行期にあり。香港は西暦一九九七年に中華人民共和国に返還せられ、香港特別行政区及び同政府成立せり。香港特別行政区は中華人民共和国に於て省や直轄市と同等の地方行政区とせらる。但し中華人民共和国憲法三十一条及び一九九〇年に制定せられし香港特別行政区基本法に基き、返還後五十年間、自治権の賦与と本土と異なる行政・法・経済制度の維持が認可せられたり(一国二制度)。また中国香港の名義により経済社会分野における国際組織や会議への参加も認めらる。
斯して香港は「高度な自治権」を享受したれども、「完全なる自治権」を認めらるゝにあらず。首長たる行政長官は選挙せらるれども、その任命は中央政府が之を執行す。司長、局長(英語にてはいづれもSecretary)も行政長官の指名を受けて中央政府之を任命す。また香港行政区基本法の改正には全国人民代表大会(以下全人代)の批准を要し、香港特区内に於てのみ手続きを完了するを得ず。同基本法の解釈権も全人代常務委員会にあり。斯のごとく全人代が基本法の制定権と解釈権を併有するがために、二〇〇七年の完全民主化を事実上阻みし二〇〇四年四月の全人代による基本法解釈のごとく恣意的なる拡大解釈すら可能なり。香港の司法府たる終審法院が香港特区内の事柄につきて有する権能は限定的なり。これは香港が独立といふ選択肢のなき属領にして、また中国当局がそれを防止せむがために香港に完全な自治権を与えざる方針を取るが故なり。[1]。
香港の政治は中華人民共和国当局の制限の下に運営せらる。然れども香港の社会は殖民地時代より民主主義のなきまま言論、結社の自由を享受し来れり。又香港は中国本土経済にとりても企業の株式上場や資金調達、諸外国との貿易、投資の中継地として重要なり。故に中華人民共和国当局も香港の民主主義や自由そのものを否定せば、諸外国の香港に対する法治、経済制度に対する信頼をも失ふ恐れあり。更に香港に於る民主化の試みには、中国本土の民主化の実験として中国政治の文脈に於ても大きなる意義あり。
[edit] 司法
中華人民共和国内とは異なり、『香港特別行政区基本法』に基いて英米法(コモン・ロー)体系が施行せらる。基本法の規定により、中華人民共和国内の法律は「別段の定め」なき限り香港において施行せず。随って死刑制度も存在せず。裁判も原則として香港域内において完結す。そのため返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置せられたり。その下に高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などあり。裁判は三審制なり。但し基本法の「中央に関する規定」及び「中央と香港の関係に関る規定」に拠り、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全人代常務委員会に該当条文の解釈を求むることとせらる。
[edit] 対外関係
香港特別行政区は基本法の定めにより、経済社会分野の条約を締結し或は国際会議や国際機構に参加することを得。然れども外交は中央政府の権限にして、外交部駐香港特派員公署が設置せられ、香港の外交事務を管轄す。
香港政府も独自の在外駐在機関を設けたり。国外の香港経済貿易辨事処は工商及科技局下の工業貿易署が形式上管轄す。中華人民共和国本土にある駐広東香港経済貿易弁事処と香港特別行政区政府駐北京辨事処は、政制事務局管轄す。然れども前者も実際に於て工商及科技局の本来業務の枠を超えたる活動をしたり。政制事務局が実質的に香港の対外事務を扱ふに似たり。
香港域内に於ても次第に、香港政府に外交権限がなき不利益が認識せられつつあり。香港特別行政区政府駐北京辨事処も以前政務司長の管轄なりたれども、西暦二〇〇五年の行政長官施政方針に於て対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局に集中せしめられて現在の如くなれり。
[edit] 軍事
返還前は英国軍が昴船洲(ストーンカッタース)、赤柱(スタンレー)など基地に正規兵の他にグルカ兵など傭兵を含む陸海軍部隊を駐留せしめたりき。同司令官、香港総督の下に位置せり。
返還後には英軍に替はり人民解放軍駐香港部隊が駐留す。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還前まで英国軍の司令部の置かれし中環のウェールズ親王大廈(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」)にあり。人民解放軍駐香港部隊司令官は中央軍事委員会及び国務院国防部の下にあり。香港行政長官には部隊の指揮権なし。
基本法の規定により、英国や英国の同盟国たる濠国や米国を含む外国艦艇の休暇上陸を含む寄港は返還後も中央政府の同意の下に可能とせらる。
[edit] 経済
thumb|220px|right|セントラルのビジネス街 thumb|220px|right|青衣のコンテナターミナル その成立の背景より、規制少なく低税率な自由経済を特徴とす。食料や日用品などの対外依存度高し。もともとイギリスの対中国貿易の拠点たるより中継貿易が盛んなりたり。第二次世界大戦後の1949年に中国共産党率ゐる中華人民共和国が成立すると、中国大陸本土より移民が押し寄せたり。そのため、安き労働力を活用せる繊維産業、プラスティック加工を中心とする製造業へ産業構造を転換せり。
1970年代になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題にも直面し始む。しかれども中華人民共和国の改革開放を受け、1980年代、従来の製造業は広東省の深圳市や東莞市を初めとする珠江デルタへと移転せり。しこうして中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換せり。
1997年の返還後も中華人民共和国本土への依存深まりて、2003年に経済貿易緊密化処置(CEPA)の本協定が中華人民共和国本土と香港の間で調印せられ、さらに広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。
なほ、イギリス時代から高度に整備せられし民法と税制上の優遇措置、高い教育程度と豊富な英語人口などより、オフィスや住宅の家賃がアジア地域のみならず世界でも最も高いとせられるにもかかわらず、多くの欧米企業は中華人民共和国や日本を含む東アジア全域またはアジア全域を管轄する地域統括本部を香港に設けることが多し。
香港のGDPの80%をサービス産業が占む。また観光産業がGDPの約5%を占むる他、古くより映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物は長江集団を率ゐる李嘉誠なり。
[edit] 企業
Template:See also 電力や通信などのインフラストラクチャーより建設や運輸、金融や流通、サービス業やマスコミまで、様々な業種の大企業が揃ひており、東南アジア圏内や中華人民共和国、日本へ進出している企業も多し。
主な財閥・企業グループには、華人の長江集団や会徳豊などあり。また、伝統的にはイギリス系のジャディーン・マセソンやスワイヤー、香港上海銀行ぞ有力なれども、前二者は1970年代以降、華人系財閥による買収などで勢力縮小せり。さらに中国本土系の企業としては、華潤集団、招商局、中国銀行(香港)、中国旅行社やCITICあり。
[edit] 金融
[edit] 貨幣・金利
thumb|220px|right|香港ドル 貨幣たる香港ドル、イギリス系の香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行(香港渣打銀行)、中国銀行 (香港)によりて発行せられている。ただし、10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局発行している。また、イギリスの植民地時代に発行せられしエリザベス2世女王の横顔入りのコインも引き続き使用している。
なほ、返還後の2001年に金利完全に自由化せれるれども、アメリカドルとのペッグ制のため金利基本的にアメリカ合衆国の動向に追従す。
- 外貨準備高
- 1,121億USドル(2003年9月末、世界第5位)
[edit] 証券
主要な証券取引所として、1891年に開設せられし香港証券取引所(香港交易所/Hong Kong Stock Exchange)あり、東京証券取引所やシンガポール証券取引所と並び、アジアを代表する証券取引所となりている。市場の動きを表す指数として、代表36銘柄を対象として時価総額加重平均で算出したる「ハンセン指数(恒生指數/Hang Seng Index)」あり。
- 株式市場
- 上場株式時価総額:1兆6,922億USドル(2007年2月)
[edit] 運輸
- 海運
- コンテナ取扱量 1,914万TEU(20フィートコンテナ換算,2002年)
- 空運
- 取扱貨物 248万トン(2002年)
[edit] 対日経済関係
thumb|220px|right|そごう(銅鑼湾店) イギリスの植民地時代より自由貿易港として、進出して来る外資系企業を遇していることもあり、さまざまなる業種の日本企業が進出しており、香港日本人商工会議所の2002年度の統計によるとその数は652社に上る。西武やそごうなどの百貨店、グリコや明治製菓などの食品、本田技研工業やトヨタ自動車などの自動車、さらにはプロミスなどのいわゆる消費者金融まで数多くの日本企業が進出し、香港の経済や金融面だけでなく、街の風景や香港の日常生活の一部分として深く溶け込んでいる。
また、近年においてパシフィック・センチュリー・サイバーワークス東京駅八重洲口近辺の土地を買収し、高層オフィスビル「パシフィック・センチュリー・プレイス」を建て(2006年9月、オフィス部分を投資ファンドに約2000億円で売却)、同じく東京都内中心部にマンダリン・オリエンタルホテルやペニンシュラ・ホテルがオープンするなど、香港企業による日本進出も活発に行われている。
なほ、貿易収支は日本からの輸出が343.7億アメリカドルに対し、香港からの輸出が13.2億ドル(2004年)と、大幅な貿易赤字状態となりている。
[edit] 建築
[edit] 超高層建築
thumb|220px|中国銀行タワー thumb|220px|香港上海銀行・香港本店ビル 香港において、特に中心部の市街なる香港島北部において、山がちにして狭き地勢よりヴィクトリア湾沿いに超高層建築林立している。1972年に建てられたる中環(Central)のジャーディーン・ハウス(怡和大廈:Jardine House:地上52階建・高さ178.5m)を皮切りに、現在に世界第5位の高さある、2003年竣工にしてシーザー・ペリ(Seser Pelli)設計による香港国際金融中心・第二期(地上88階建、高さ415.8m)を筆頭に数多くの超高層建築見られ、中に1985年竣工のノーマン・フォスター(Sir Norman Foster)設計による香港上海銀行(HSBC)・香港本店ビルや、1988年竣工のポール・ルドルフ(Paul Rudolph)設計によるリッポーセンター(力寶中心:Lippo Centre)、1990年竣工のイオ・ミン・ペイ(I・M・Pei、貝聿銘)設計による中国銀行タワー(中銀大廈:Bank of China Tower)など世界的に著名なる建築も含まる。
2010年には、西九龍(West Kowloon)地区のユニオンスクエアにKPF設計の環球貿易廣場(International Commerce Centre:地上108階建、高さ484.0m)完成し、こ今後香港で最も高き建物となる予定なり。
加えて香港島の向ひ、ヴィクトリア湾を挟みたる九龍半島側にも超高層建築郡が出来つつあり。これは九龍市街の埋立てが近年急速に進んだ事、そして1998年に九龍灣地区にありし啓徳空港(KaiTak Airport)の廃港となり、九龍上空の建設規制が大幅に緩和せられたるによる(「再開発」の項において詳述)。
現在、香港の超高層建築の集積率は世界において2番目に多く、アメリカ合衆国のニューヨーク市、マンハッタン地区に次ぐものなり。
主な香港の超高層建築は次の通り。
- 現在完成している主なる超高層建築
- 香港国際金融中心・第二期 (Two International Finance Centre):地上88階建・高さ415.8m…2003年竣工/箇所:中環
- セントラルプラザ (中環廣場:Central Plaza):地上78階建・高さ374.0m…1992年竣工/箇所:灣仔
- 中国銀行タワー (中銀大廈:Bank of China Tower):地上72階建・高さ367.4m…1990年竣工/箇所:金鐘
- ザ・センター (中環中心:The Center):地上73階建・高さ346.0m…1998年竣工/箇所:上環
- ニーナタワー (如心廣場:Nina Tower One and Two):地上80階建・高さ318.8m…2006年竣工/箇所:荃灣
- 長江センター (長江集團中心:Cheung Kong Center):地上63階建・高さ282.9m…1999年竣工/箇所:金鐘
- 現在建設中の主な超高層建築
- 環球貿易廣場 (International Commerce Centre):地上108階建・高さ484.0m…2010年竣工予定/箇所:西九龍
- 港島東中心 (One Island East):地上69階建・高さ280.0m…2008年竣工予定/箇所:太古
- 河内道重建項目 (Hanoi Road Redevelopment Project):地上64階建・高さ275.0m…2007年竣工予定/箇所:尖沙咀
- 九龍站第六期 (Union Square Phase Six):地上68階建・高さ265.0m…2007年竣工予定/箇所:西九龍
またビル建設時に用ゐる作業員の足場として、殆どの建設現場で大量の竹材が使用せらる。香港に隣接する中華人民共和国の広東省などにおきて、丈夫にして安価なる竹大量に入手するをう。この竹材の足場を用いて高層ビルを建設するといふ方法は香港の他、マカオ特別行政区、台湾(中華民国)、中華人民共和国などにおいて見られ、アジアの一部地域特有の光景となっている。 thumb|220px|right|香港国際金融中心
[edit] 再開発
近年は啓徳空港が廃止されランタオ島沖の香港国際空港に移転し、九龍地区の高さ規制が外され再開発事業が活発に行われている。九龍・旺角地区の『ランガムプレイス』(朗豪坊:Langham Place、地上59階建て、高さ255.1m)などはその代表格なり。
また西九龍地区においてはオフィス、住居、ショッピングモール、ホテルなどを兼ね備えたる巨大複合施設の『ユニオンスクエア』(Union Square)が2010年に向け建設中にして、ここに隣接して『西九龍文化施設群』(West Kowloon Cultural District Project)と呼ばるる現代美術館や劇場、ホール、展示場、スタジアムなどを兼ね備えたる文化施設が建設せらるる見込みなり。啓徳空港跡地のある九龍城地区や九龍湾地区においては、空港用地跡の敷地を利用して、オフィスと住居を主体としたる複合施設を建設する計画あり。
香港島北部の市街地、特に灣仔(Wan Chai)地区でも環境整備と言ふ名目で再開発が進められているが、ここでは古くからの街区と言ふ事もあり抗議活動が展開せられ、急激な開発は元来居住している住民の同意を必ずしも得られていない実情も垣間見らる。
[edit] 住居
thumb|220px|right|コロニアル・スタイル様式を残す香港文物探知館 thumb|220px|right|ショップハウス型住宅(西營盤) thumb|220px|right|香港の高層住宅(九龍・大角咀) 伝統的な村落の形式は、外部の者の攻撃や盗難を防ぐる「圍」(ワイ)と呼ばるる城壁の中に切妻の家を立てるのが普通なりき。この形式は、現在も新界の客家集落に一部残されている。また、現在では見掛ける機会はほとんど無くなれども、香港島南部の香港仔(Aberdeen)や九龍の深水埗(Sham Shui Po)、新界の西貢(Saikung)などにおいては、古くより蛋民などと呼ばるる、水上生活を営むものも見られたり。
イギリスの統治が始まると、洋風建築もでき、第二次世界大戦以前の中心地区においてはコロニアル・スタイルの建築が印象的なれども、大戦以後は国共内戦後の中華人民共和国からの難民によりて建築様式が変更せられたり。
1950年代までは1階が店舗にして、2階が住居なる伝統的なるショップハウスと呼ばるるスタイルを踏襲していたれども、1950年代以降はそれまでのショップハウスの柱廊を取り払ひ、中層化したるペンシルビルになりたり。また急激なる人口増加に対応するため、1950年代より1960年代には九龍などの郊外に、政庁はプレハブ方式による下層が工場、上層がアパートなる同規格の建築群を大量に建設せり。また香港への難民の流入による住居の特異なる例として、九龍の九龍城地区に存在し1994年に取り壊されし、九龍寨城(Kowloon Walled City)などの例も挙ぐるをう。
この時期までの、香港の住環境は必ずしも良好と呼ぶあたはずして、この状況を改善するべく1980年代以後政庁主体で計画的なる大規模開発行われ、低層部に商業施設を造り、その上に庭園付きの高層住宅を造るスタイル一般的になりたり。
現在には、政府と民間開発業者の主導を以って九龍地区や新界地区の沙田(Sha Tin)、元朗(Yuen Long)、将軍澳(Tseung Kwan O)、青衣(Ting Yi)、しこうしてランタオ島の東涌(Tung Chung)などを中心に超高層住宅を伴ふ大規模なるニュータウン建設せられ、同時に鉄道網も整備せられている。また、香港島や九龍地区などでも超高層マンションが数多く建設せられており、中には高さが250mを超ゆる建物も幾つか完成している。
香港の住宅価格は非常に高く、ニューヨークやロンドン、東京など世界的に高値と認識せられている都市の水準に迫るか、場合によりてはそれを上回る価格で取引が行はるるもあり。またオフィスや工業用地など、香港の不動産全体に対し共通して言ふを得る現象なり。
香港元々狭小なる領域しかなき上、山がちにして不動産開発の容易なる平地少なく、また駐車場用地や関税の問題より自家用車などの容易な所持を得ずして、公共交通機関の発達している市街中心部や要衝へと需要集中している。この為不動産の価格押し上げられ、結果的に海岸部の埋立て加速的に進み、市中に超高層建築が林立せり。半山區(Mid Levels)や跑馬地(Happy Valley)などの高級住宅地においては、隣接する山地の中腹に山自体を越ゆるがごとき高さの超高層住宅を建設するも珍しからず。
- 香港の主なる超高層住宅
- 擎天半島 (The Sorrent):地上74階建・高さ256.3m…2003年竣工/箇所:西九龍
- 君臨天下 (The HarbourSide):地上74階建・高さ255.0m…2003年竣工/箇所:西九龍
- 曉盧 (Highcliff):地上74階建・高さ252.4m…2003年竣工/箇所:跑馬地
- 海名軒 (Harbourfront Landmark):地上66階建・高さ232.6m…2001年竣工/箇所:紅磡
- 凱旋門 (The Arch):地上65階建・高さ231.0m…2005年竣工/箇所:西九龍
[edit] 観光
thumb|220px|right|ビクトリアピークからの夜景 thumb|220px|right|ウォーターフロント・プロムナード thumb|220px|right|香港島の繁華街(中環) thumb|220px|right|香港島の繁華街(銅鑼湾) thumb|220px|right|スターフェリー thumb|220px|right|香港ディズニーランド thumb|220px|right|ラマ島 (南丫島) 観光産業が経済的に大きなる位置を占むるもありて、香港政府観光局による海外の宣伝、誘致活動大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身のハリウッドスターたるジャッキー・チェンぞ務めている。
香港島中西區には香港上海銀行(HSBC)や中国銀行・香港分行、香港国際金融中心(IFC)などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが、九龍城區、油尖旺區等の繁華街には大規模なショッピングモールや様々なるジャンルのレストラン、高級ブランドのブティックやエステサロンなど立ち並び、活況を見せている。
また、古くより世界的に「100万ドルの夜景」の異名を持つほどに夜景うるはしきにて知られており、特に香港島のビクトリア・ピークの夜景や、油尖旺區のビクトリア・ハーバーにあるウォーターフロント・プロムナード近辺よる見る香港島の夜景は壮観なり。12月のクリスマスシーズンから旧正月にかけては、ビクトリア・ハーバー沿ひに建つビルに特別のイルミネーションが施さる。
郊外や島嶼部に行くと昔ながらの風景を楽しむことができる他、自然が多く残されており、ハイキングなどを楽しむをう。また、2005年9月に香港の新たなる名所として香港ディズニーランドがオープンせり。
近き上に観光資源が豊富なるを以って、1970年代の海外旅行ブームのときより日本人の間で人気の旅行先としての地位を保ちている。また、それに対し近年は日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランドや原宿など)を主な旅行先とするケースが多かりたるものの、近年は東北地方の温泉地周りや、北海道のスキー、大阪や九州のテーマパークなど、その目的地が日本全国へと広がっており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さうかがはる。
[edit] 観光スポット
- 香港島
- ビクトリア・ピーク(山頂。扯旗山・太平山とも)
- ピークトラム(山頂纜車)
- ピークギャレリア(山頂廣場)
- マダム・タッソー蝋人形館(杜莎夫人蠟像館)
- 香港公園
- 2階建て路面電車(電車)
- エスカレーター(行人電動樓梯)
- ランカイフォン(蘭桂坊)
- 文武廟
- IFCモール(國際金融中心商場)
- 香港コンベンション&エキシビション・センター
- ヌーンデイ・ガン(午炮)
- ハッピー・ヴァレー競馬場(跑馬地馬場)
- 香港映画博物館(香港電影資料館)
- 香港動植物公園
- ビクトリア・ピーク(山頂。扯旗山・太平山とも)
- 九龍半島
- ウォーターフロント・プロムナード
- アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)
- 香港芸術館
- 香港スペース・ミュージアム(香港太空館)
- 香港歴史博物館
- ネイザン・ロード(彌敦道)
- 九龍公園
- 香港文物探知館
- 男人街(テンプル・ストリート(廟街)の通称)
- 女人街(通菜街の通称)
- 黄大仙廟
- ウォーターフロント・プロムナード
- 香港島・九龍間
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- スターフェリー(天星小輪)
- ビクトリア・ハーバー(維多利亞港)
- レパルスベイ(淺水湾)
- スタンレー・マーケット(赤柱市場)
- オーシャンパーク(海洋公園)
- 沙田競馬場(沙田馬場)
- 香港ウエットランドパーク(香港濕地公園)
- ランタオ島(大嶼山)
- 香港ディズニーランド(香港廸士尼樂園)
- ポーリン寺(宝蓮寺)
- ゴンピン360(昂平360)ロープウェー
- ラマ島(南丫島)
- 長洲島
- 望夫石(沙田區)
[edit] ホテル
thumb|220px|right|ザ・ペニンシュラ香港(右)とシェラトン・香港(左) コンデナスト・トラベラーやインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテルや国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルが揃っている。
- ザ・ペニンシュラ香港
- マンダリン・オリエンタル・香港/ザ・ランドマーク・マンダリン・オリエンタル
- インターコンチネンタルホテル・香港
- カオルーン・シャングリラ/アイランド・シャングリラ
- シェラトン・香港
- グランドハイアット・香港
- コンラッド・香港
- ホテル・ニッコー・ホンコン
- 重慶大厦
[edit] 交通
[edit] 通信
香港においては郵便、電話、インターネットなど地球上において使用可能なる通信手段は概ね全て享受するをえ、サービス品質も世界の国と地域の中では最も高き部類に入る。ただし、電報は利用者が減り、サービスが終了している。電話においては多数の通信運営会社設立せられ、各社の自由なる競合の結果、香港の固定電話や携帯電話市場で消費者は安価にして良質なるサービス受けられるになりたり。
[edit] 郵便
thumb|220px|right|香港郵政総局 郵便事業は香港郵政(Hong Kong Post)が行ひており、イギリス統治時代から引き継がれしものなり。1997年の中華人民共和国の返還後も、中国郵政とは切り離して運営せられている。ただし返還にあたりては、香港郵政のCIが変更せらるるなど変化見えき。現在、香港にある郵便ポストの色は『深緑』にして、これはコーポレートカラーにもなりている(イギリス統治のロイヤルメール時代は、香港郵政のコーポレートカラー『赤』なりき)。万国郵便連合(UPU)に準拠す。
[edit] 電話(固定)
固定電話同士の市内間通話料金は、基本的に無料なり(データ通信は課金対象になる)。香港の固定電話事業のサービスは数社が行ひている。最大手は電訊盈科(PCCW)にして、その後に和記電訊(Hutchison Telecom)や新世界電訊(New World Telecom)など続く。香港において固定電話にもナンバーポータビリティ制度が存在する為、各社の競合が見らる。
国際電話に至りては、香港に運営会社が数十ありと言はれており、料金よりサービス品質まで、消費者にとりては様々な選択が可能となっている。
市内には公衆電話が多数設置せられている。中には、クレジットカードが使用するを得たり、公衆電話端末の液晶ディスプレイからインターネットを閲覧するを得たる高機能型のものもあれども、携帯電話など普及して数は減少傾向にあり。
[edit] 電話(携帯電話)
現在香港において、携帯電話運営会社乱立している状態にあり、その間で競合が激化している。香港の携帯電話普及率は概ね人口比の8割~9割で、世界に最も高き水準なり。各社とも電波受信エリアの人口カバー率ほぼ100%にして、地下鉄やトンネル、超高層ビルなどを含む香港のほとんどの箇所において発着信可能なり。
- 香港の主な携帯電話会社
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- 3香港(Hutchison Telecom)
- 數碼通(SmarTone-Vodafone)
- 新世界傅動網(New World Mobility)
- CSL (CSL 1010 / One Two Free)
- 万衆 (Peoples)
- PCCW Mobile (元・Sunday携帯電話)
最も使用せられている携帯電話は、第二世代携帯電話 (2G) と呼ばるるGSM方式なり。現在、徐々にCDMA方式など第三世代携帯電話 (3G) へ切り替え移行している。月極めの一般的なる契約形態に加へて、プリペイド式携帯電話のごとき前払ひ料金制の契約も多し。
香港においては、諸外国と同様に着信にも課金が行はる。
また、日本国内で契約せられたる国際ローミングを対象としている携帯電話(またはPHS端末)のうち、香港で使用可能なるローミングサービスはNTTドコモ、au、ソフトバンクモバイルの3社 より提供せられている。国際ローミングを対象としていない日本の携帯電話は、香港では使用するをえず。
[edit] インターネット
香港のインターネット接続は、普及率の高きケーブルテレビやADSLなどのブロードバンド主流なり。また、FTTH(光ファイバー接続)も普及してきている。香港のインターネット普及率は、概ね8割程度と高水準なり。数多くのサービスプロバイダーが事業を展開しており、日本の企業においてはSo-netなど進出している。
香港においては個人のインターネット普及率高く、市街の至るところに無線LANのホットスポットが設置せられているが、いはゆるインターネットカフェのごとき公共性のあるネット環境は比較的少なし。ホテルもブロードバンド有料多し。
1997年の『一国二制度』の方針により高度な自治権を有する香港におきては、中華人民共和国政府によるインターネット接続のいかなる言論規制や監視も行われぬ事となりており、現在はその方針遵守せられている。
[edit] 報道・メディア
香港基本法は言論および報道の自由や通信の秘密を規定している。中華人民共和国本土と異なり、これらの規定は比較的遵守されている。ただし、広告主となる企業の多くは、中華人民共和国本土で活動するうへで、中央政府の意向を気にせざるを得ない。香港経済における本土系企業のプレゼンスも増大している。そのため、広告収入に依存するメディアには、自主規制する傾向が出ているといはれる。また、有力なるメディアが中華人民共和国よりの企業に買収せらるるケースも起こりている。皮肉なることに、最も中国共産党政府に批判的なる『蘋果日報』の始めたる低価格路線が、独立したるメディアの存続を危機にさらし、広告収入への依存を強めているといふ側面もあり。
主な新聞には、中道および右派として『信報財経新聞』、『明報』、『東方日報』、『蘋果日報』などあり。『蘋果日報』が最も中国共産党政府に批判的といはるれども、最近は遠慮がちになりてきたりとも言はる。『信報財経新聞』は経済専門誌、『明報』は高級紙だが、それ以外は日本のスポーツ新聞に近い内容が多い。一方、左派の新聞としては、『文匯報』『大公報』『香港商報』などがある。左派の新聞は、一般読者少なきものの、中国共産党政府の強き影響下にあり、本土系企業の広告収入も多く得ているといはる。
(テレビに関しては、テレビの記述を参照)
[edit] 言語
[edit] 公用語
[[画像:HK-langs.png|thumb|220px|right|香港で使用される言葉-右上から逆時計回りに:広東語、香港風英語、北京語、朝鮮語、香港風日本語、タガログ語]] 公用語は英語と中国語なれどもが、事実上の共通語は、方言の1つなる広東語である。人口の 95.2%が広東語を常用もしくは理解し、38.1%が英語を常用もしくは理解す。英語は中国語に対する上位言語であり、イギリスの統治が始まりてより1974年までの間、唯一の公用語とせられていたが、中国語(普通話に近い形で書いて広東語で発音する)も事実上の公用語なりき。香港はイギリス領(植民地)でなると同時に国際自由港なるため社会的上昇の手段として英語の取得重要にして、英語教育の指向性高かりき。2003年より、学科の内容理解を深めることを目標に、中学・高校で中国語を用ゐて授業を行なふことを奨励する政策(母語教学)を実施している。
中華人民共和国の開放改革政策により、1980年代後半から中国本土との往来盛んになりしより、普通話(北京語をベースにしたる中国語の標準語。香港に一般的に「国語」と呼ぶ)普及しつつあり。かつて北京語を以って授業を行ふ学校、中国共産党系ないしは中国国民党系のみなりしかども、中華人民共和国への返還を控へたる1990年代からは、大部分の小中学校に普通話会話の授業を導入している。返還後、政府の会議も、北京語の同時通訳用意せらるれるが普通しつつあり。
一般的に繁体字を以って表記せるれども、中国返還後、政府関係の資料は簡体字をも以って提供せらる例増えている。広東語を表記するために方言字も多く使はれており、政府も香港増補字符集といふ文字セットを制定している。
歴史上の経緯より、香港に使はれている英語はイギリス英語の影響を強く受けている。そのため、日本によく目にする
